2015.9.11/social football COLO 陸前高田スタディツアー:レポート(1st)


震災から5年という節目を半年後にひかえた9月11日。

その日をむかえ、あらためて復興への想いを確認する意味もこめて“陸前高田の現状と未来を学び、震災復興のこれからを考える”スタディツアーを行いました。今回は、COLO CUPの寄付先のひとつである「陸前高田スポーツグラウンド・クラブハウスづくりプロジェクト」を共に進めている株式会社コスモスモアのみなさんと現地を訪れました。

半数以上が震災後はじめての被災地訪問となるなかで、どれだけのことを感じ、学べるのか――1泊2日のツアーを3回に分けてお伝えします。


■高田大隅つどいの丘商店街
腹が減っては……ということで、陸前高田スタディツアー最初の目的地は、つどいの丘商店街の飲食店「カフェフードバー わいわい」です。

店長の太田明成さんが独自開発したメニューであるちくわに納豆を詰めて揚げた「なっちく」。看板メニューであるなっちくが乗ったうどんとマグロ漬け丼のセットが一番人気でした!

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じつは、納豆が大の苦手だという太田さん「一度も食べたことないんですよ(笑)」。

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陸前高田市の子どもたちがアイデアを出し合い制作したモニュメントは、ミニ「あかりの木」と呼ばれています。

高田大隅つどいの丘商店街は、震災前から市内で営業していたお店や事業所が中心となり、2012年6月にグランドオープンしました。名前には“この商店街がにぎわいであふれ、陸前高田の復興の中心となるように”という想いが込められています。

「食べに来てくれるだけでも嬉しいんです」と笑顔で迎えてくれ、帰りぎわも最後まで手を振り続けてくださった商店街のみなさんから、たくさんの元気をいただきました。美味しいごはんと温かなおもてなしでおなかも胸もいっぱいになったところで、つぎの目的地に向かいます。


■高田松原・震災遺構~慰霊堂~・復興センター
本日2つめの目的地である松原地区へは、沿岸部をぐるりと周りながら目前に広がる旧市街地の中を進みます。

市街地のほとんどを津波に飲み込まれてしまった陸前高田市。いまは瓦礫も撤去され、空き地が広がっています。見上げると、巨大ベルトコンベアが一本松の対岸あたりから、市内の工事現場まで張り巡らされていました。その様子はまるで近未来のよう。

この沿岸部には、東日本大震災の犠牲者への追悼と日本の再生に向けた復興の象徴として「高田松原津波復興祈念公園」が整備されてゆくようです。

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そうこうしているうちに「道の駅 高田松原」に到着です。

津波がどれほど高かったかを物語る看板の数字“15.1m”を見上げ、想像をゆうに超える事実に唖然とする面々。向かっている途中にも震災の傷跡をそのまま残している遺構の数々を目にし、そのたびに言葉を失いました。

そこには、現実を自分の目で確かめ、肌で感じることでしか得ることのできないものがたしかに存在します。「いくら口で説明されようとも伝わらない感覚」を自分の身を通して感じ、遺し、伝えることの大切さを学ぶことができました。

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神妙な面持ちで復興センターに設置されているパネルを読んでいます。

時間のゆるす限り、じっくりと当時の様子とこれまでの軌跡を学んだあとは、「奇跡の一本松」を見にゆきます。津波に流されることなく、一本だけ残った奇跡の一本松。しかし、時間の経過で根元が腐り、枯死してしまいました。現在は、防腐処理をほどこされ、中に金属の芯材が埋め込まれています。

予想していたよりもずっと背の高い一本松を見上げ、思い思いに感想を述べつつ、付近にある商店街へと足を運びました。

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一本松付近の店舗にてお土産を選ぶコスモスモアのみなさん。

見ているだけでもワクワクしてしまうような魅力的な商品ばかりが並んでいます。こうして被災地の商品を買うことも復興支援のひとつのやり方ですね。ここで束の間の休憩をはさみ、陸前高田市長のお話を聞くため市役所へと向かいます。


■陸前高田市、戸羽太市長の講話

「この4年半はあっという間だった――けれど、とても長かった。」

そんな言葉から始まった戸羽市長のお話。今回のスタディツアーの大きな目的である“陸前高田のいままでとこれからを知る”時間がやってきました。陸前高田がどれだけ市民に愛されていたか、どれだけの市民が震災で日常を失ったか、そして、なかなか進まない復興の現状と市長の目指す街の姿についてお伺いしました。

「陸前高田市は、津波で街の中心部が壊滅的な被害を受けました。死者、行方不明者は合わせて約1,800名。市民はかなりの確率で家族や親族、友人を失っている状況です。そして、1,400世帯3,600名が依然として仮設住宅に住んでいます。」

まだまだ復興は進んでいないという市長。復興と聞くと、目に見える“被災地の再建”を思いがちだが、目に見えない“心の復興”も深刻な問題だといいます。

「どうやってモチベーションを上げようか。市民の気持ちを盛り上げるため、ワクワクを求めて本当に図々しいことをたくさんやってきました。」

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「陸前高田には、遺児・孤児が多くいます。つまり、子どもたちは“親に反抗する”ということすらできない。そんな状況でも子どもたちはしなやかで豊かです。周りの子どもがはしゃいでいたら、それだけで大人は嬉しいんです。」

その市長の言葉に、真の復興には子どもたちの無邪気な笑顔が不可欠であるということを強く感じました。陸前高田をはじめ、被災地では「遊び場不足」が大きな問題となっています。2日目に訪れるグラウンドづくりのプロジェクトに共に関わってきたコスモスモアとCOLO。わたしたちが“できること”と“すべきこと”を改めて認識した瞬間でもありました。

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かつて、「岩手の湘南」と呼ばれていた陸前高田市。

戸羽市長は、自らフリップを持ち、陸前高田市震災復興計画の一部である「人工的に高台をつくるためのかさ上げ工事」や「高田松原津波復興祈念公園」について話してくださいました。

「高台づくりにおいて最もネックだったのは、手続きの多さ。手続きばかりで2年間はなにもできなかった。それに、未だに職員は全国を飛び回る必要があって、余計なコストがかかっている」という市長。他にも田舎ならではの土着文化による土地問題、そして、あれだけの津波を経験してしまったがゆえの市民たちの心の問題などが山積しているのが現状です。そんな状態でもチャレンジし続ける市長には、強い信念がありました。

「仕事で東京に行ったとき、つい、妻に電話をしようとしてしまいます。そのたび、こんなに些細な電話もできなくなってしまったのかと悲しくなる。でも、その悲しみを悔しさに変えるしかない。そして、その悔しさを力にするしかないんです。」

戸羽市長は、「これはサバイバルゲームだ」と続けます。自分と同じように「うちの家族はどう思って亡くなったんだろう」と考える人がたくさんいるからこそ、負けられないのだと胸の内を語ってくださいました。

「出来上がった街を変えるのは難しいですが、高田は偶然にも街がなくなりました。ゼロからすべて創ることができるということです。悲しい気持ちになったとき、ここに来たら元気になれるようなパワースポットのような街にしたいんです。そうしてやっと、亡くなった被災者の方々に顔向けができると思います。」

陸前高田の未来を語る市長の姿はエネルギーに満ちていて、聞いているわたしたちの心をも大きく揺さぶりました。そのあとの質疑応答の時間では、市と協定を結んだ川崎フロンターレとの今後の関わりについてやノーマライゼイションな街のあり方について、復興の前後で何を残していくのかについてなど様々な質問が出ました。


株式会社コスモスモアの代表取締役である緒方克吉さん。会社として今後どう関わっていけばよいのか、宿題がほしいと言います。

緒方さんの質問に、「もっと魅力的な街にするためにはこうしたらいいというような積極的な提案をビジネスでしてほしい」と答えた市長。魅力的な提案がワクワクを生み、人口流出を防いで若者をつなぐことを期待しているとのことです。

「街は、管理する側が作るのではなく、使う側が意見を出して創っていきたいですね。田舎には、苗字を言えばどこの子かわかるような“コミュニティ再生力”がある。そういう田舎の良さを残しつつ、外との関わり合いのなかで本当の“新しい街”を創りたいし、そうじゃないと意味がないと思っています。」

お忙しいにもかかわらず、今回のスタディツアーのためにたっぷりと時間を取ってくださった戸羽市長。その熱い想いをしかと受け止め、COLOは今後どう関わっていけるのだろうかと考えを巡らせながら市役所を後にしました。

第2回のレポートも「川崎フロンターレとの協定締結」や「グラウンドの草むしりボランティア」などなど、盛りだくさんの内容でお届けいたします。
どうぞお楽しみに!


文:石川涼子
写真:石川涼子、日高英之