地元の方に話を聞くと、8月は週末になるたびに雨で
今年の夏は、全く夏らしくない8月だったそうです。
ところが、今回訪れた、9月8日−9日は二日とも快晴で、9日には気温が30度まで上がりました。

今回のスタディーツアーの目的は、現地に触れ、現地の方々から話を聞き、東日本大震災後の「今」の姿を知ること。COLO CUPの寄付先の一つでもある、株式会社コスモスモアCSR推進室が取り組んだプロジェクト「陸前高田スポーツグラウンド」を実際見て、触れること。現地の店舗・施設等で消費をすることでチャリティ参加となること。 そして、今の私たちが行うべきことは何かを考えること。

それでは早速、COLO(事務局:HITOTOWA INC.)がコーディネートしている、今年で4回目になったコスモスモアの陸前高田スタディーツアーをレポートしたいと思います。

10時30分、一ノ関駅に集合。まさにスタディーツアー日和の快晴です。

車内では、コスモスモア社長の枝廣様からのお話をいただき、参加者27名の自己紹介を行いました。そもそも東北に初めて来たという参加者の方や、スタディーツアー自体が3回目という方もおり、それぞれの方がさまざまな目的を持ってツアーに参加していることが感じられました。

■高田大隅 つどいの丘商店街 カフェフードバーわいわい
1時間半ほどバスに揺られて、「高田大隅 つどいの丘商店街 カフェフードバーわいわい」に到着。

「高田大隅つどいの丘商店街」は、震災前から市内で営業していたお店や事業所が中心となり、2012年6月にグランドオープンしました。名前には“この商店街がにぎわいであふれ、陸前高田の復興の中心となるように”という想いが込められています。

ホタテかき揚げ丼定食、ホタテ塩ラーメンセット(おにぎり付)、なっちく定食、チキンソースカツ丼定食、まぐろづけ丼定食の中から選びます。どれも地元の食材を使っているということで、全員で美味しくいただきました。

食後には、店長の太田さんからこれからのお話をお聞きしました。
「平成31年3月までに現在の仮説店舗を取り壊すには、その解体費用は税金で賄われ、事業者の負担する費用は発生しない。しかし、それ以降に解体する場合、事業者がその費用を払う必要がある。そういった金銭的な負担含めて、色々と悩んだが、現時点でこの場所で、仮説店舗を取り壊さずに引き続き営業すると決めている。」
その言葉には、それまでの思い悩んだ気持ちと、そんな中でも決断した覚悟を感じました。そういった厳しい現状があるにも関わらず、明るく前向きに話をしてくださった太田さんが印象的でした。

 

■一本松~高田松原・震災遺構~慰霊堂~復興センター
次は、「奇跡の一本松」で有名な一本松・高田松原周辺を、まるごとりくぜんたかた協会の伊藤さんのガイドツアーで回ります。
最初に訪れたのは、「タピック45(道の駅高田松原)」という震災遺構でした。ここは、3月11日当時、津波が13.7メートルまで達しました。そんな中でも最上階まで避難した5名が助かったことでも有名です。


 

しかし、海に近かったこの場所は、津波の恐ろしさを今でも感じさせます。
震災当時のままの瓦礫が残った施設内、津波でなぎ倒された鉄塔や、沖にあったはずの打ち上げられた牡蠣の養殖網。参加された皆さん、真剣な眼差しで伊藤さんのお話に耳を傾けていました。

 

「陸前高田の震災遺構は4つあり、その4つの施設では誰1人として、人が亡くなっていない。震災遺構として残すべきだという施設は他にもあったかもしれないが、遺族の方々との話し合いの中で、住民がこれからの人生・生活で前を向いていくためにも、誰も人が亡くなっていない施設を震災遺構として残すことを決めた。」

奇跡の一本松の前でも、

「ある人がこの奇跡の一本松の保存のために全額を出資していただけるという話もあった。しかし、そうではなく、100円でもいいから、一人でも多くの人に復興に関わってほしい、陸前高田に関わってほしいという気持ちがあり、とてもありがたいお話だったが、お断りしたという経緯がある。」

というお話がありました。

伊藤さんは、時にユーモアを交えながら、当時と復興が進む今の話をしてくださいました。

当時のことを考えると想像を絶しますが、太田さんと同じく、前向きにお話をしてくださる伊藤さんが印象に残りました。

■陸前高田・戸羽市長の講話

1日目最後のプログラムは、陸前高田市庁舎にて、戸羽市長のお話でした。

「目に見える部分、つまりインフラ面の復興は進んでいるけれども、住んでいる人間からするとそれぞれ一人一人の復興というのがあり、目にみえない課題がまだまだある。」

「備蓄品や避難場所知っていますか?自分自身も、いざという時になんとかなるだろう、と思っていたが、その時のために備えておくことが大事だと震災当時に痛感した。」

「ノーマライゼーションという言葉が必要のない街にしたい。障がいがあっても、年を取っても人生を謳歌できる街を創りたいと思っている。被災者(障がい者、年配者)を可哀想だなと思った瞬間にその人と線を引いてしまっている。障がいじゃない、不得意なだけ。当事者と話をして、一緒に考えて、一緒に決めていくことで、目指す街を実現したい」

終わりの質疑応答まで、市長のお話は続きます。

「被災地の人間が恐れていることは、世の中から忘れ去られること。自分たちと同じような思いを二度として欲しくない。だから、日頃から災害への備えをしっかりとしてほしい。被災地で我々が学んだことを自分の生活に生かして、災害による不幸な子供・人を出して欲しくない」

「人生は一回。当たり前のことが当たり前じゃなくなった時の悲しさ・寂しさを痛感した。未だにポッカリ空いた穴がなくならない。だからこそもっともっと人生を楽しむべき、世の中に生かしていくべきだと考えている。」

被災地の首長であるだけでなく、ご家族を亡くされたという一被災者としても、
戸羽市長の言葉は、どれも一つ一つが重く、日頃の自分たちの生き方を振り返る機会になりました。

とても学びの多い一日がこれにて終わりました。明日は、陸前高田スポーツグラウンドにて、クラブハウスのお手入れと地元の子どもたちを交えて、サッカー防災「ディフェンス・アクション」を行います!