Interview/インタビュー

視覚障がい者と健常者が
サッカーを通じて
混ざりあう社会を築く。

日本ブラインドサッカー協会 事務局長 松崎 英吾さん2013.7.24

:私はある企業の社会貢献プロジェクトで、日本ブラインドサッカー協会と関わり、初めてブラインドサッカーという競技を知りました。松崎さんがブラインドサッカーと出会ったのはいつですか、またその時の印象を教えてください。

松崎(以下 松):2002年の夏頃だったと思います。今でこそ、初めてブラインドサッカーをご覧になる方には「目が見えないのに、なんでサッカーが出来るの? すごいね!」と言われますが、その当時の選手たちは、お世辞にも上手いとは言えませんでした。現在ブラインドサッカーの日本代表で活躍しているような選手たちでさえ、ボールのコントロールも十分に出来ないほど。

しかし当時はまだ、選手たちにはブラインドサッカーのトレーニングのノウハウが何もなく、彼らもどうすれば技術を向上できるのか、どこまで上手くなれるのかがわからなかったようです。

:松崎さんが初めてブラインドサッカーに出会った当時から、今も現役で活躍されている選手がいらっしゃるんですか?

:これまでずっと日本代表の中心選手として活躍している、黒田智成選手もそのひとりですね。ただ、こう言うと本人から怒られるかもしれませんが、彼も当時は決して上手な選手ではありませんでした。

:ドリブルが持ち味の黒田選手にもそういった時代があったとは驚きです。そんな中、松崎さんはどういったきっかけで、ブラインドサッカーへの想いを強くしていったのでしょうか?

:初めてブラインドサッカーと出会った時、彼らは目が見えない、プレーもまともにできていない、それでもサッカーをやろうとしている、それが「すごい」と思ったんです。選手たちの意志に驚かされました。私には選手たちが、ブラインドサッカーにチャレンジしていること自体が衝撃だったんです。

当時、東京では関西に比べて、ブラインドサッカーを支える人が少なかったこともあり、「お手伝い出来ることをやります」と協会に申し出て、練習会場を手配したことなどが始まりです。

:その後、松崎さんはいつ頃から、日本ブラインドサッカー協会の事務局長になられたのですか?

:2007年です。その前からボランティアではあったのですが、日本ブラインドサッカー協会の理事として関わらせていただいていました。そんななか、ブラインドサッカーの可能性について、それを探す事も含めて考えるようになり、さらにいろいろなタイミングが重なったこともあって、それまで働いていた会社を辞め、専属の事務局長としてチャレンジすることになりました。

:事務局長になった前後で、ブラインドサッカーに対する見え方や想いに何か変化はありましたか?

:想いは変わっていないですね。ただ、理想だけでは上手く進めなかったり、人の助けが必要なこともありました。そういった経験から、責任を持って事業をすること、組織をまわしていくことを考えるようになりました。

私は今の事務局長という立場は社長業と同じだと思っています。自分がやりたいことを優先して独りよがりになるのではなく、選手の“プレーしたい”気持ちや、それを“支えたい”人の気持ちをどのように結びつけ、事業を成り立たせていくか。それが、今の私の役割です。

:私は松崎さんとは2011年からのおつきあいですが、松崎さんはブラインドサッカーを「事業経営」と捉えている点がすごく特徴的だと思いました。なぜなら、障がい者スポーツの世界のなかで「事業経営」という考えを持って運営されている団体は珍しいと思うからです。松崎さんのそういったスタイルはどのように築かれていったのでしょうか?

:やりながら培ってきたものです。決して最初から考えていたわけではありません。当初、こちらから仕掛けたことがあまり上手くいかず、継続性を考えた時に、お金だけでなく人もちゃんと組織的に動いていくことが必要だと感じました。様々な失敗経験をもとに、ブラインドサッカーの魅力や可能性を競技だけでなく、どのように事業で表現すべきかを考えていきました。

:松崎さんが事務局長になられてからおよそ6年が経ちますが、達成できたことは何でしょうか? 例えばブラインドサッカーの知名度は上がってきていると思います。

:いろいろな調査もしていますが、肌感覚でも知名度は圧倒的に高まっているので、そういう成果はひとつあると思います。しかしそれ以上に、ブラインドサッカーをとりまく生態系が豊かになってきたなと感じています。単純にプレーする選手、それを支えてくださる人たちだけでなく、チームや協会を支えてくださるスポンサーなど、支援や応援の輪の広がり方です。

現在、企業が研修としてブラインドサッカーを導入したり、年間2万人くらいの子どもたちがブラインドサッカーの体験をしたりしています。プレーする当事者がブラインドサッカーに携わるだけでなく、体験した方がさらに人に伝えていくような裾野の広がりを大切に感じています。

その結果として、出会ったみなさんが地域の障がい者に対して興味を持ってくださったり、人と人とのコミュニケーションについて感想を寄せていただいたりしています。

:まずは知ってもらわないと何も始まりませんから、とても大切なことですよね。その一方で、今だからこそ見えてきた課題や、今後取り組んでいきたいことはありますか?

:私たちのビジョンは「視覚障がい者と健常者がサッカーを通じて混ざりあう社会を築くこと」です。それを目指したときに、競技において世界で勝っていくことも私たちの使命ではありますが、それはあくまでも、ビジョンを達成するためのひとつのツールにすぎません。なぜなら、勝者でいられるのはひとつのチームだけだからです。私たちは競技活動のなかで、障がい者を取り巻く環境が変わっていくことを目指しています。

そのためには、勝利を目指しつつも、そこに依存しきらない組織運営が必要です。子ども向けのプロジェクトや企業研修、啓発のイベントだったり、地域の大会など、それらの充実を図ってきたこともそのためです。

そのうえで、次は勝つことにこだわる準備ができたと考えています。これまでも世界の舞台で「いま一歩」及ばなかった事が多く、応援してくださる皆さんに残念な想いを与えてしまいました。今後は強化での成功も獲得し、ブラインドサッカーとそれをとりまく障がい者の環境、多様性という課題に対して、ビジョンを持って、一層推進力を得ていきたいと思います。

:日本ブラインドサッカー協会の取り組んできた事業の基盤が整ってきたため、いよいよ強化や勝負により熱を入れていこうというわけですね。これからがとても楽しみです。ところで、”COLO”に期待することは何でしょうか?

:私たちの事業は、視覚障がい者だけでなく、目の見える晴眼者に対しても実施しています。それは、障がい理解だけでなく、人と人との信頼関係やコミュニケーションの大切さの理解にもつながっています。そういった気づきの場を提供しながら、チャリティ活動をしていく”COLO”との連携は、私たちの取り組みとも親和性の高いものです。”COLO”との出会いとご縁が、サッカーを愛する人に価値を提供できる場になっていければと思います。

:私たちもブラインドサッカーの選手と気軽に会話出来るような場をつくっていけたらと思っています。”COLO”は人と人をつなぐこともひとつの使命だと考えていますから。本日はありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


日本ブラインドサッカー協会


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Profile/プロフィール

日本ブラインドサッカー協会
事務局長 松崎 英吾さん

日本ブラインドサッカー協会事務局長。慶応義塾大学システムデザイン・マネジメント研究所研究員。国際基督教大学卒。1979年生まれ/2児の父。
学生時代に、偶然に出会ったブラインドサッカーに衝撃を受け、深く関わるようになる。大学卒業後は、㈱ダイヤモンド社に勤務。一般企業での業務の傍らブラインドサッカーの手伝いを続けていたが、「ブラインドサッカーを通じて社会を変えたい」との想いで、日本視覚障害者サッカー協会(現・日本ブラインドサッカー協会)の事務局長に就任。「サッカーで混ざる」をビジョンに掲げる。スポーツに関わる障がい者が社会で力を発揮できていない現状に疑問を抱き、障がい者雇用についても啓発を続ける。サステナビリティをもった障がい者スポーツ組織の経営を目指し、事業型非営利スポーツ組織を目指す。


赤羽 大=文責
齋藤さおり=写真

Company/団体



応援団体
[日本ブラインドサッカー協会]
理事長
釡本美佐子
事務局長
松崎 英吾
事業概要
・強化事業:ブラインドサッカー日本代表の強化を目的とした事業。
・育成事業:国内のブラインドサッカーの競技者/指導者の育成を目的とした事業。
・普及事業:国内のブラインドサッカー普及を目的とした事業。
・審判事業:国内の審判を統括する事業。
・大会事業:国内の大会を統括する事業。
・ダイバーシティ事業部:晴眼者へのブラインドサッカー普及を目的とした事業。
・その他:障がい者サッカー連携・国際大会主催。
所在地
〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-7 新宿酒販会館2階
TEL
03-6908-8907
FAX
03-6908-8908
E-Mail
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ホームページ
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