2016.9.9/social football COLO 陸前高田スタディツアー2016:レポート(1st)


震災から5年半が経過した9月初旬。

COLO CUPの寄付先のひとつであり、「陸前高田スポーツグラウンド・クラブハウスづくりプロジェクト」を共に進めている株式会社コスモスモアのみなさんと3年連続で現地を訪れました。

何度も被災地へ足を運んでいる方や初めての方合計30名と共に“陸前高田の現状と未来を学び、震災復興のこれからを考える”1泊2日のスタディツアー!
今回はその様子を2回に分けてお伝えします。

早朝の出発と接点のない部署の方々が多くいたということもあり、乗車時はテンション低めな皆さんでしたが、自己紹介や今日の意気込み、更にバス内での高田さんのトークパフォーマンスによって、親交を深めながら徐々に盛り上がっていきます。(ここには書けないような内容もありますが…笑)

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■高田大隅つどいの丘商店街

そんなことをしている間に最初の目的地、高田大隅つどいの丘商店街の飲食店「カフェフードバー わいわい」に到着します。

高田大隅つどいの丘商店街は、震災前から市内で営業していたお店や事業所が中心となり、2012年6月にグランドオープンしました。
名前には“この商店街がにぎわいであふれ、陸前高田の復興の中心となるように”という想いが込められています。

予約はしていたものの、店長の太田明成さんの「出来立てを食べてほしい」との思いから、到着と同時に30名分のセットを3名の従業員でテンポよく準備してくださいます。
さすがは出来立て! マグロやホタテなどの海の幸をたっぷりと満喫しました。

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食後には、太田さんからお店の歴史、そして未来についてお話しいただきました。

震災時に津波によってお店はすべてを失いました。
「家族が無事だったので、お店のことなんか心配にもならなかった」と当時を思い出しながら強い口調で話す太田さん、とはいうものの今後どのように生計を立てるか悩み、お店の再建を計画します。

再建のために試行錯誤を繰り返した成果のNPO法人からの出資、そして「震災を乗り越えた今、失うものは何もない」という相当な覚悟。

そして設計や内装などすべて自らで行い、5年もの月日もかけて仮設ながらも地元の人に愛されるお店となりました。

しかし、お店は現在、近隣に大型商業施設の建設や商店街の移転など岐路に立たされています。
「復旧は元に戻すこと、復興は以前よりもよくすること」
陸前高田の街の復興を目指すために、もう一度リスクを冒さなければなりません。
今後迎えるであろういばらの道を、また新しい覚悟を決め、前に進もうとしている太田さんの表情が印象的でした。

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その後は綺麗な海を眺めながらバスに揺られ、旧市街地の松原地区へ向かいます。


■一本松~高田松原・震災遺構~慰霊堂~復興センター

ここからは一般社団法人「マルゴト陸前高田」伊藤さんによるガイドのもと、被災地をめぐります。

市街地のほとんどを津波に飲み込まれてしまった陸前高田市。
いまは瓦礫も撤去され、東日本大震災の犠牲者への追悼と日本の再生に向けた復興の象徴として「高田松原津波復興祈念公園」の整備や新規住宅の建築に向けて、最大で12メートルかさ上げする工事が行われています。
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■奇跡の一本松
津波に流されることなく残った奇跡の一本松。しかし、時間の経過で根元が腐り、枯死してしまいました。現在は、防腐処理を施し、中に金属の芯材が埋め込まれています。

何もない地に一本だけ力強く立っている一本松。

ぴったりな言葉が見つかりませんが、見ているだけで勇気や明日も頑張ろうというポジティブな感情が沸き上がってきました。

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■TAPIC45
元は「道の駅」だったTAPIC45は東日本大震災の津波により被災しました。
津波の脅威を後世に伝えると共に、「誰も亡くなっていない被災地として」各市町村が選ぶことができる「震災遺構」の1つに認定されています。

ここでは伊藤さんから「コミュニティ」の大切さについてお話しいただきました。

被災時に現地の方々から復興を願い「ミサンガ」を編みたいとの声が上がりました。
こんな状況下で物資など集まるはずがないと考えた。
しかし、地元の人々に声をかけてみたところ、すぐにひもなどの必要なものが大量に集まりました。

このエピソードからわかるように地域のつながり「コミュニティ作り」は、本当に困ったときに必要なものです。

都会に住んでいると忘れがちである「あいさつなどを通して、顔見知りを増やしてつながりを作っていってほしい」という言葉が強く胸に刻まれました。

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松原地区を出発し、市役所に向かいます。


■陸前高田市、戸羽太市長の講話
続いては市長から陸前高田市の現状、そして今後の方向性について1時間ほどお話を聞く機会をいただきました。

具体的な政策としては、震災により自然回復では1000年かからと言われている砂浜の修復、道の駅の復旧など「防災」をテーマにしながら、陸前高田をよみがえらせるだけでなく、更に「ノーマライゼーション」に力を入れてオンリーワンの市を目指していくそうです。

「東日本大震災や熊本地震など大きな地震の教訓を被災者以外の人々は活かしきれていない」と市長は強く訴えます。

陸前高田に訪れた観光客が「命を守るためにできること」「自宅や職場に来そうな災害を意識すること」など1人1人が理解と意識することで「防災」について、改めて考え直すきっかけを提供したい。

8年間の復興計画のうち、5年半が経過した今、熊本地震や東京オリンピックなどの話題によって「東日本大震災」のトピックが目立たなくなってきています。
しかし、震災復興にはまだまだ時間と労力が必要です。
震災の悲惨さを風化させないためにも、自分で見聞きしたことを伝え、行動に移していきたいと心に誓いました。

更に市長は「震災は何もない状態から街を作り上げるチャンスであり、街づくりに向けていいスタートを切れるというポジティブに捉えるようにしている。」と話します。
「辛い時に来て、元気をもらって帰ることができる街にしたい。」
参加者全員が市長や市民の姿勢を見て、実際にそう感じることができました。


■一般社団法人「マルゴト陸前高田」伊藤さんのお話
続いて、伊藤さんから「復興支援」についてお話を伺います。

震災直後、多くのボランティアの方々が訪れたことはメディアでも取り上げられ話題となりましたが、市民とボランティアの距離感がすべて良好だったわけではなく、中には不信感を抱いてしまう例もあったそうです。

そんな距離感をどうにか変えたいと思い、伊藤さんはボランティアの方々と、がれきやぼを掃除するなど、行動を起こし続けていくことで市民からのイメージを払しょくすることに成功しました。

現在も街に可能性を感じてもらうために「教育」や「海外との交流」など分野に関係なく、ヒントになりそうなことがあれば奔走し続ける伊藤さん。

「東日本大震災で1回死んだと思っている。だから何も怖くない。」
「できない理由を探すより、できる理由を考える」
など、とにかくポジティブな言葉で震災を伝える姿は、我々が勝手に抱いていた被災地へのイメージとは異なり、とても刺激的なものでした。

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第2回のレポートも「農業体験」や「スポーツグラウンド・クラブハウス視察」にツアー参加者のコスモスモアの皆さんの感想など、盛りだくさんの内容でお届けいたします。
どうぞお楽しみに!