防災減災に「まんまとハマる」人がもっと増えればいいと思うんだよね【COLO運営メンバー対談 後編】
2013年3月11日にスタートした、『social football COLO』。この3月で発足から7年、そして東日本大震災の発生からは9年を迎えます。震災から10年の節目を前に、これまでの『social football COLO』の取り組みをふりかえり、未来へとつなげる対談の機会を設けました。
後編として話を聞くのは、COLOの発起人であり、HITOTOWA INC.代表取締役の荒昌史。聞き手は前編と同じくHITOTOWA INC.の原田稜でお届けします。
サッカー防災®の開発には3年以上かかった
原田:後編では荒さんに話を聞きたいと思います。まずは『social football COLO』立ち上げ当時のことから聞いてみたいのですが。
荒:社内で変な感じだね(笑)。でもこのタイミングで、しっかりふりかえるのは大事だと思う。COLOの立ち上げは7年前。そのさらに2年前、2011年3月11日に東日本大震災が発生して。
当時の僕は、いくつかの企業のCSRを手伝っていた。そのなかで、横浜FCが福島で開催した公式戦とサッカー教室に関わる機会があって。震災直後のまだまだ大変な時期だったけど、カズ選手も参加したサッカー教室のとき、大人も子どもも何かから解放されたような笑顔になるのを目の当たりにしたんだよね。そこでスポーツの価値を再考したことがきっかけになってる。
原田:なるほど。たしかにスポーツのそういう機会があったのはわかるんですが、そこからどうやってサッカーを復興支援や防災と結びつけていったんですか?
荒:最初は寄付を送ることを目的にサッカーイベントをやっていたんだよね。HITOTOWAを立ち上げる前に、環境NPOでも植林のためのフットサルイベントをやっていたから、自分のなかではその発展形のつもりで。
でもだんだん、「寄付を集める」「サッカーやフットサルをやる」以上のことができないかと考えるようになって。被災された方と飲んでいるとき、泣きながら「防災減災が大事だった。後悔している」と語り合ったこともあって、「防災減災の学びも入れたい」という気持ちが強くなってね。
原田:そこで『サッカー防災®』に行きつくわけですね。サッカーはぼくも好きでしたが、防災とサッカーをかけあわせる発想に驚きました。これまでの活動で、もっとも苦労したことはなんですか?
荒:やっぱり「ディフェンス・アクション」の開発だね。自信を持てるまでに3年ぐらいかかったんじゃないかな。ボツになった企画もたくさんあったし(笑)。
原田:いま僕も開発に取り組んでいますが、難しいですよね(笑)。よくここまで作ったな……というのは率直に思うところです。
荒:仲間で集まって議論しては、フットサルコート借りてトライアルしてね。粘り強く取り組むとコツがつかめてきて。りょう(原田)も結果的にボツ案でもいいから、遊び半分でたくさんトライアルしてみるといいよ。
それから、震災直後のCOLOの活動は防災の啓発よりも、復興支援がメインだった。被災地の「いま」を伝えることが大事だった。でも9年経ったいまも、東北をしっかり学ぶことは大切だと思う。また社員みんなで行けたらいいね。
原田:ぼくが入社する前に福島研修を行ったらしいですね。これまでもなるべく被災地へ行くようにしていたと聞いています。
荒:陸前高田の上長部グラウンド・クラブハウスづくりに携わらせてもらった当時は、どこかしらにだれかしらが月2回くらいは行っていたかなあ。おかげで友人がたくさんできたよ。
仲間を守りたいから、サッカーの力を利用する
原田:COLOがスタートしてからの7年をどのように捉えていますか?
荒:震災当時、スポーツは自粛・不謹慎という扱いがあった。でもなんだかんだ1年以上経って、そろそろスポーツを再開してもいいかなという雰囲気になりはじめたとき、大人も子どもも本当に喜んでいて。特に大人は静かに我慢していたみたいで、じんわりスポーツを噛み締めていたんだよね。それまではスポーツは当たり前にあるものだと思っていたけれど、特別なものだということをずっしりと感じた。
今でもその体験は自分の礎になっていて、「サッカーやスポーツには人を元気にする力がある」と信じているよ。その信念を、少しずつだけど形にできた7年だったんじゃないかな。
原田:スポーツの力は大きいですよね。僕自身もJリーグ・Jクラブの社会課題解決プロジェクト『シャレン!』に関わるようになり、障がいを持つ方がスポーツの場を通して笑顔になるのを見たりするなかで、それを実感しています。さてCOLOの取り組みを振り返って、防災減災という切り口ではどうですか?
荒:COLOはいま、つむ(津村)とりょう(原田)が中心になって推進してくれているけど、これまでもインターンやプロボノの方々がたくさんCOLOに関わってくれたんだよね。ありがたいなあと思いつつ、実は裏目的としては、COLOに関わることで防災減災を「自分ごと」化していく人たちを増やしていきたいというのもあって。
他人に防災減災の大切さを伝える前に、まずは自分が対策しなきゃ、となってもらえればしめたものだから。
原田:そういう裏目的があったんですね。ぼくもまんまとハマりました(笑)。
荒:もっとハマって、防災減災のプロになってほしい(笑)。というのも、2011年3月11日、本当に怖かったんだよね。恐ろしかった。その恐怖心を忘れないように自分も生きていきたいし、大切な人たちにも長生きしてほしいから。そういう気持ちを忘れちゃいけない、と強く思う自分がいて。
原田:そういう気持ちが、『サッカー防災®』の取り組みにもつながっているんですね。ぼくは静岡出身なので、幼いときから南海トラフ大地震が起きるといわれてきましたが、防災への取り組みはいま思うと足りていませんでした。家族や友達、大切な人。たくさん守りたい人がいます。
荒:HITOTOWAとしてはネイバーフッドデザイン事業を通じて、研修や住民組織の立ち上げと伴走支援を行って、地域防災にも深く関わっている。でもやっぱり、防災減災に取り組む人の数がもっと増えないとね。その点でも『サッカー防災®』は楽しみながら、防災マインドや防災スキル、そして人々の関係性を育てていけると思ってるよ。
アキレス腱を伸ばすように、サッカー防災®を
原田:今後の展望についてはどのように考えていますか?
荒:「ディフェンス・アクション」を日常化していきたい。小中学校の授業や、サッカースクールはもちろんのこと、あらゆるスポーツのウォーミングアップやクールダウンのなかに入ってるとか。アキレス腱を伸ばすような感じで「はい、つぎは、”ファースト・アクション(※)”」みたいなね(笑)。目指しているのはそこまで日常化された状態。
※「ディフェンス・アクション」の中で行われる、災害時の初期行動とウォーミングアップをかけ合わせたストレッチ。
さらにいうと、自分たちで地域のお手本のような場をつくりたいなと。スポーツとコミュニティ施設の集合体『COLO PARK』とか。そういう拠点を持って、HITOTOWAのネイバーフッドデザインのノウハウも生かして、地域の共助を促進していきたい。
原田:ぼくも『COLO PARK』はすごく実現したいです。建築出身でもあるので、施設づくりと運営には特に興味があって。
荒:『COLO PARK』は遊びながら共助が育まれる場にしたいね。クラブハウス自体が防災拠点になっていたり、カフェが非常食や炊き出しを表現していたり。『サッカー防災®』は、参加者どうしの関係性をすごく深めることができる。それが他のワークショップとの大きな違いだよね。
原田:スポーツ・サッカーをすることで、自然と仲良くなるから、自然と共助ができるようになりますもんね。ボールを使って身体を動かすことで、コミュニケーションが促進されて。みんなが笑顔になったり、共助が生まれたり、これがスポーツの価値なんですね。なんだかサッカー防災®したくなってきました(笑)。これからもがんばります!
前後編でお届けしてきた「COLO運営メンバー対談」、いかがでしたでしょうか。なかなかお伝えする機会のない運営メンバーの思いが、少しでもお届けできたなら嬉しく思います。
発足から7年。これからも『social football COLO』は、サッカー・スポーツの魅力を生かし、広く防災減災に興味・関心をもってもらえるよう、さまざまな活動にチャレンジしていきます。
今後の活動にもどうぞご期待ください!